このページに、しるし(道しるべ)を付けます。
4月8日。
突然、何?。
そう思いますよね。
Photo credit:Signpost / thepicturedrome
今日は記念すべき日でも、特別重大な出来事が起こった日でもありません。
強いて言えば私がここ数日、悩み続け、不安恐怖を徹底して流しても流しきれなかった想念が、吹っ切れた日でした。
その訳を今はお話出来ませんが、合点が合った時にお話したいと思います。
今はどうしても確かめたい期間でもあるんです。
「善と悪」の記事でもお話しましたが、今が正しかったのかどうかは、どうでも良いことだと思います。
すべては体験です。
「すべては学びの為にある教材である」そして、この二極性を通して進化して行く」
それに尽きると思いました。
私は今回の出来事でものすごい体験をしています。
それと同時に目に見えないものに動かされている。
必要な時は計画さえ立てさせられます。
そうも感じています。
結構キツイ体験ですが、得たものは計り知れないくらいあります。
それは今もまだ続いています。
確かに、良い事も悪い事もその体験から得たものは尊いと感じます。
そして、見えないものの一部はハイヤーセルフからのメッセージでもあったんですが…。
田心姫が言います。
−憑依について−
Photo credit:厳島神社 / yto
-田心姫- (タゴリヒメ)
憑依について話す前に、知ってほしいことがあります。
あなた方が憑依と読んでいるもののほとんどは、責任逃れや、ただの現実逃避でしかないという事です。
現在、憑依されていると言われている人々のほとんどは、甘い考えを捨て、現実を見据えて責任感を持つと言う、当たり前の態度を持つ努力をするだけで、憑き物は落ちてしまうでしょう。
Q:
チャネリングも憑依のうちなのでしょうか?
田:
チャネリングはただの会話です。
口頭チャネリング、トランスチャネリングと呼ばれているものであっても同じです。
Q:
トランスは憑依的に見えてしまうのですが?
田:
実際にやってみてお判りと思いますが、トランスと言えどもチャネラー自身の意志で言葉を発しているのです。
ただ、自分の意志を言葉にしているか、私達の送った思考を直接言葉にしているかの違いでしかありません。
これはチャネラーの人格に対して、なんら強要はされておりません。
Q:
では憑依とは、何者かの強要と言えるのですか?
田:
或る対象が、対象となる人格を、その存在の思惑どおりに利用しようとする場合です。
この強要の仕方は本人の心のスキをついて、巧妙に誘導して行くのです。
本物の憑依の場合、本人に憑依されているという自覚はありません。
憑きものの意志思惑で動いていても、自分の意志で動いていると思い込んでしまっているのです。
Q:
宗教組織に洗脳されて人々が思い浮かんでしまいました。
田:
まぁ、憑依のうちと呼んでも良いでしょうが、自ら望んで取り憑かれている人々です。
ただし、自分自身の思惑に取り憑かれているのです。
先にあげた現実逃避のパターンがこれです。
架空の現実に自分の幻影(妄想)を投影する場合を欲して、自ら心地良く洗脳されるのです。
こういう場合では、同じように妄信(表面上ですが)している仲間を見て、心強くして更に憑依を深めるのです。
もちろん憑依しているのは教祖ではなく、本人の妄想の想念です。
程度の差こそあれ、本人の想念に取り憑かれるという現象は、あなた方の日常、よくあることなのです。
Q:
暴走する想念に巻き込まれて、気付けない時のことですね?
田:
そうです。
想念観察を続けている方なら、お判りと思いますが、現在、憑依問題の根本はここにあります。
想念の暴走とは、霊力の暴走と言えるのです。
Photo credit:Pandamonium / shenamt
想念の暴走は、暴走に見合った現実を創ってしまうという事です。
そして現在、想念の暴走は大なり小なり日常化している以上、そのエネルギーは膨大であり、文明レベル、種族レベルで暴走に見合った現実を造ってしまうという事になります。
ここに人類自身と災害、戦争との因果関係があるのです。
どうしたら良いのかはお判りと思います。
想念観察を徹底するのです。
暴走する想念を客観視することで、霊はその想念を自身とは捉えず、その要請に応えません…が、巻き込まれ、取り憑かれ、自分自身と受け取ってしまうと、その想念の要請に応え、見合った現実を引き寄せてしまうのです。
文明レベル、集合意識レベルのものであっても、各自が地道に想念観察していくしかないのです。
決して焼け石に水だなどと考えないように。
Q:
テレビのオカルト番組なんかでやっているような悪霊に取り憑かれたとか言うパターンについてはどうですか?
田:
同じ事です。
ほとんどは自身の想念に取り憑かれ、その気になっているのです。
また実際に他の存在に憑依された場合も同じです。
この場合、他の霊存在であったり、地球上を漂う想念の集合体であったりしますが、他の霊の憑依であっても、その霊の思惑(想念)の干渉を受けるというのが実態ですので、想念観察がこの場合も有効なのです。
それこそ憑き物のことを想念観察してしまえば良いのです。
Q:
憑依された状態で、想念観察なんか出来るのですか?
田:
可能です。
憑依された状態であっても、自身の意志(意識)は厳然としてあるからです。
意図的に妄想を想念観察するという訓練を積んでご覧なさい。
想念(エゴ)の暴走に巻き込まれにくくなって行きます。
これは憑依されにくくなるという事、と言えます。
私達から見て、あなた方の憑依の問題は油断としか言えません。
本当にスキだらけでエゴの道具になってしまっています。
本当はエゴが道具なのです。
己を知るための道具なのです。
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本当に人間の想念とはすごいものです。
<Kさん>が言っているように、想念は本当の自分ではない。
この事を知っていれば、迷いというものを振り払う事が出来ます。
迷いとは極端な話、エゴに振り回されどう動いて良いのか見失う状態でもあります。
そのエゴに呑まれないように、しっかり観察をする。
それしかありません。
実際、迷いがあっても大丈夫なんですがね。
田心姫が言っている様にエゴに振り回される事なく、常に冷静に自分の想念を観る。
エゴに使われるのではなく、エゴを使う。
これが肝心です。
続きは次回に。
※記事中の<Kさん>のお話、あるいは書物などの転載内容は、ほんの一部分です。
興味のある方、詳しく知りたい方は、FUJI日本のホームページをおすすめ致します。
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想念観察を広めるグループ!FUJI日本