進化の法則について考えてみたいと思います。
人間は進化していかねばなりません。

人間の進化は次元上昇に関係なく、永遠に行われる。
これは人間をやっていく上で絶対必要なことであり、無くなるものではないのです。


大半の人は毎日が忙しく仕事や生活に追われ、そんな進化がどうの法則がこうのと言っても、それどころではない! そんな暇はないのだ。

そう言っておしまいです。


Photo credit:Rush Hour 2 / 26250290@N06

現代社会の流れに乗っかり、おかしいと思いつつも流されては悩み苦しむ毎日を送っている。

そして、いつの間にか歳月が過ぎ死を迎える。
それは、それで良いのです。

その人はそれで貴重な体験をしたのですから。
ほとんどの人はこのパターンだと思います。

でも、ほんの少数の人達は途中で目覚め、こころ改めるのです。
ほんのチョットしたきっかけです。

もしかして、たまたまかも知れない。
しかし、それは本人の目覚めたいという思いがそのきっかけを作ったのかも知れないのです。




地球人は宇宙の人からみたら赤子です。

しかし地球人も今や、次から次へと人工衛星を打ち上げ、飛行機が飛び交い、新幹線や高速道路、超高層ビル、画期的な新薬や発明・発見など、科学力は日々進歩しています。

ないものは無いと思わせるくらい、何でもある現代社会です。
その中で私達は生活している。

この発達した近代社会の常識の真っ直中に浸かっている状態で、進化や法則などの目に見えないお話を、はたしてあなたは信じられますかって事です。

昔からある古びた迷信じみたお話。
現代人から言わせれば、架空の都市伝説的お話です。

特に進化を全く理解していない人が聞いたらとんでもない事を言い出します。

背中に羽でもはえて飛べるようになるのか。
魔法で何でも出せるようになるのか。

…。


でも現に、法則や進化は存在している。
この法則の中にいる限り逃れることは出来ないし、「私にはそんなもの関係ない」とはいかないのです。

なぜなら、
法則は人間と密接な関係があるからです。
結果的に信じる信じないに関係なく、この数ある法則に従い転生を繰り返しています。

どんな人間でもです。
 
 
じゃー、どんな法則があるの?
って事ですが、

あなたは、なんかおかしいと思いませんか。

いまの日常生活での矛盾や不平・不満、不合理など。
組織や団体・地球上でのこの仕組みです。


Photo credit:Greed / scabeater

地位や権力、お金持ちなど、強い者が勝つ。
それこそエゴに支配された一部の貪欲な人間です。

いくら間違いでおかしいと思っても、それらの人はその力でねじ伏せる事ができるのです。
しかも、正当に思わせる様に。

その時点で根底には、歪んだ、ねじ曲がったルールができ上がっているのです。
その上にいくら正確なルールを乗せたところで、土台が間違っている以上は修復されません。

それこそオセロの4隅を取られた様なものです。
しょうもない言い方でした。(汗)

土台は圧倒的な権力者が握っているので、根底からくつがえす事など難しいのです。
個人的には次元上昇などで期待しているんですが…。

「私は分かっているのに仕方なく流されている。
しかし、ひとりで抵抗しても、どうしようもないではないか」

そう思っていますか。

それとも全く気が付かず、「いまが当たり前」と思っていますか。

…。


何度もお話している通り、

私たちは生まれた時から自分を正当化したり自分を守る為になくてはならないエゴという意識が備わっています。

  記事:エゴとは 2 エゴの真実、その痛みを理解しましょう!



よろしかったら、エゴで検索してみて下さい。

これはどんな人にもあり、人間である以上切り離すことは出来ないものです。
逆に言えば、エゴがないと生きてはいけない。
あなたが今、自分と思い込んでいる意識・思考の事です。

ところが、悲しいことにエゴの大好物なのは善悪判断、責任転嫁、自己中心的考え、自分さえ良ければ…などです。
 
要は「悪い心」が多いです。

たとえそれが霊的に人的に、良くても悪くてもエゴには関係ありません。
自分が快感と思うものすべてが大好物であり、気に入らないものはすべて「悪」なのです。

相手の気持ちなんて関係ありませんよ。
好きな物であればどんな手を使ってでも手に入れたい。
欲しい物は相手を潰してでも奪い取りたい。

そんな「悪い心」です。
私も持っています。

誰しも持っているその心。
どんなに偉い僧呂であっても、それがあるが為、その悪い心を取り払おうと修行の旅に出るのです。

それはどこから来ているのでしょう。
動物的本能でしょうか…。


しかし私たちには理性というものがあります。
そんな悪い心に「待った」をかける安全装置的な「心」です。

その理性があることによって動物的な行動「悪い心」を抑えることが出来るのです。
そこが動物との違いでもあるのですが…。


Photo credit:Bad Heart / tracy_n_brandon

ところが、残念なことにその理性を働かせる、要するに安全装置をかけると人間は苦痛を感じます。

苦しいのです。
事が大きい小さいは関係ありませんよ。

どんな小さな事でも苦痛を感じます。
その苦しみや痛みを何とかしたい。

要は我慢していると言うことですよね。
その我慢が苦痛を感じさせるのです。

人は苦痛は苦手です。
苦しいこと、痛いことから早く脱しようと働くのです。
でもその反面、理性をも働かせようと頑張るのです。

「人として人間として悪い心を出してはいけない」
「そんな事は絶対にしてはいけない…」

まるで、善と悪、天使と悪魔の駆け引きです。
そこで自分の中で葛藤が生まれ、挙句の果てに病気になったり不幸になったりします。

そこから来る病気や不幸は法則的な要素より、自己から来る精神的な要素が大きいかも知れません。

ところが、病気や不幸の原因となるのは、それだけではないのです。
もっと深いところ、人間と天界の相違によるところがあるのです。
むしろそちらの方が大きい。

 

こんな人がいます。

私は今まで自分に正直に、真っ直ぐ生きてきた!
良いと思われる行いをしてきたし、自分なりに正しい事をしてきたのだ。
何も悪いことなどしていないし、逆に悪を軽蔑してきたのです。

しかし、どう考えても良い人生だとは思えない。
不幸不幸の連続で、辛いことばかり起きて来た。

だから良い思い出より、辛い出来事の方が多い。
しかも最後には、こんな辛い病気にまでかかるし…。

悪いことをしていない私が、一体何をしたというのか。



なぜか分かりますか?

この方のいう良い事とは、あくまでも地球上での良い事なのです。

では、地球上での良い事とは?

良い事は沢山あると思いますが、私が言っているのは「行い」ではありません。

「良い事」とする定義です。
難しいことは抜きにして、要は決め事ですよね。

「これが良い事だ」と誰が決めたのか。

人間です。


Photo credit:The Choir - Order of the Golden Fleece / andryn2006

人は道徳心として「良い行い、悪い行い」を決め秩序が乱れない様に「善と悪」を区別したのです。

エゴ意識を持っている人間が決めた「善と悪」です。
いまある地球上の法律や規則・秩序など人間が決めたルールです。


また、こんな人もいます。

俺は「悪運」が強いのだ。
だから、どんなことをやってもすり抜けられる。

人をだましたり、傷つける事なんて簡単な事だ。
だました相手がどうなろうが俺には知ったことはない。

見てくれこの財産を。
俺には一生遊べるだけの金があるのだ。

金さえあれば、怖い物は何もない世の中だ。
いい世の中になったもんだ。



最初の良い事ばかりをしてきた人。
後の悪いことばかりをしてきた人。

なぜ良い行いをしてきたのに不幸ばかり続くのか。
どうして、悪いことばかりしてきたのに楽しい人生なのか。

そこには、先ほどお話した「決め事」が絡んでいるのです。
天の領域と人間が決めた地球上のルールとの違いです。

 
続きは次回に。


※記事中の<Kさん>のお話、あるいは書物などの転載内容は、ほんの一部分です。
興味のある方、詳しく知りたい方は、FUJI日本のホームページをおすすめ致します。


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「不安・恐怖」により、ついつい悩んでしまいエゴに左右されていた自分を「想念観察・感謝瞑想」によって不安・恐怖が存在できない「いま」に集中できる事を教えていただいた○○様、そして「FUJI日本」のグループ並びに、ご担当者様に深く感謝いたします。

想念観察を広めるグループ!FUJI日本

 

一人でも多くこの記事を知ってほしいので、よろしくお願い致します。
いつもありがとうございます。