現実を変える、変えたいについて少し深く考えてみたいと思います。

まず、現実を変えたいと思うこと自体、いまの現実に対して不満があるという事です。
自分の理想として描いていたものと現在を比べて、そのギャップが今の不満を生んでいる。


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思っていた理想と出来上がった現実の差に不満を抱くのです。
「この世界が修行の場である」「修行をして自ら進化をしていく」という概念から考えてみると、

不満がイコール修行という事なのか?
それでは、理想どおりの人生を歩いている人にとっては修行にならないのでは?
…。


そうではなく、

不満とは、肉体からくる欲求をエゴが創り出したものである。

肉体はものを欲するという動物的本能からきているので、むしろ自然の反応。
それをエゴが感知し満足を得ようと努力するのです。

 記事:天と創造の法則 罪と罰ではないのです!

仮に不満を持っている人が、自分の理想どおり現実が叶ったとしても、また新たにエゴはその上の理想を創り上げていく。
また、いままで理想どおりの現実を歩んで来た人についてもやはり、更なる理想をとエゴが働いていくのです。


では、修行とはなんだろう。
どこかの山にでもこもり、辛い業を行なうのか。

いいや、

それは毎日の生活の中の「すべて」であり、動いても動かなくてもすべての行動や出来事が修行になるのですよ。
要は生きている事すべてが修行なのです。


セムヤーゼが以前お話した事。

記事:驚愕の真実です! セムヤーゼに聞いた、霊界の必要性

この世とあの世の関係は非常にうまく出来ているのです。
この物質の世界で体験したすべてを、霊界に持っていく。

楽しい事でも辛い事でも、良い事でも悪い事でも関係ありませんよ。
この世で行なったすべてが修行になっているのですから。

それを霊界で整理整頓、選別する。


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人間は霊界に行くと「善と悪」「正と邪」を正しく判断できる様になるのです。
自分が行なってきた数々が「正」だったのか「邪」だったのか、それこそ天界レベル、天の法則での判断です。

それは以前お話しました。
正しい目である、「正見です」

記事:天照大神 真実を映し出す

エゴの全く関係しない、純粋の自己「本当の自分」です。



ふーっ。
チョット「現実を考える」から「修行」へとお話がずれてしまいました。
最近、すぐ横道にずれてしまうのです。

次から次と浮かんだ事を記録しておかないと忘れてしまうからです。
やはり年なのでしょう、申し訳ありません。

現実を変えるには、いまの現実のありがたみを感じなければいけない。
何度も言いますが、現実を創っているのは自分なのです。

自分が人生の中で、数々あった分岐点を自分で選んで進んだ結果、いまの現実が提供されている。
不思議なことに、その提供された現実はいまの自分の100%合った現実であり、いまの自分に必要なものなのです。

そう考えると、

たとえ、いまの現実が本当につらいものだとしても、そこから逃げるのではなく、ありがたく感じ貴重な体験をしているのだ。

この体験のおかげで、こんな思いを感じることができた。
その心とは「感謝」以外の何ものでもないと感じてくるはずです。

その様に捉える事が出来た時こそ、自分の内なる何かが変わった時なのです。
その時こそ、現実が変わっていくのです。


いまの現実がイヤでイヤでしょうがない。
どうしてこうなったんだろう…。

例えば辛く、重い病気になってしまった。
この先、どうなるのか全く分からない。

ちょくちょく体調も悪くなるし、その都度病院へ足を運ぶ。
毎日気分がユウツで生きていること自体ツライ。

今までの生活が根本からひっくり返ったのだ。

家族にはまだ私の力が必要だ、子供たちにも。
そう考えると本当にツライ。


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いても立ってもいられない現実が押し寄せてくる。

現実問題として考えたら、それこそ霊界だの体験だのと言っている場合ではないと思います。
私が前職の時に、いろいろと教えていただき、大変お世話になった方の現実です。

もちろんその方にお話しました。

想念観察のこと。
エゴ意識のこと。
現実のこと。
病気のこと。
自分の体験した事。

結果はまだ目覚めの時期ではなかったようです。
これは本人の問題です。

なので、私がどうしろ、こうしろと言う事ではないのです。
あくまで人それぞれ目的があり、やるべきこと、行くべき道があるからです。


根本的になぜ想念観察をするのか、

エゴ意識に振り回されない。
「良い悪い」が無い中立を行く。
過去も未来も無い「いまこの瞬間を」意識する。


人間の意識はエゴに左右されている為、どうしても肉体からくる欲望を切り離す事は出来ない。

私は欲なんて何もありませんよ。
欲しい物は何も無いし、こうなりたいなんて理想もありません。
いま生きているだけで良いのです。

こう思っている人は何%いるでしょう。

今、お話した前職でお世話になった方のように、大病を患って奇跡的に回復した方。
事故や災害で多数の死者がいる中、奇跡的に助かった。


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そういうプロセスを体験した方なら、いまの命があるだけで充分。
感謝以外、何もいらない、そう考えるかも知れません。

考え方が180度変わるのです。
しかし、仕事や生活に追われ、毎日同じリズムで動かされている以上、ほとんどの方はエゴに振り回されているのです。


続きは次回に

※記事中の<Kさん>のお話、あるいは書物などの転載内容は、ほんの一部分です。
興味のある方、詳しく知りたい方は、FUJI日本のホームページをおすすめ致します。

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「不安・恐怖」により、ついつい悩んでしまいエゴに左右されていた自分を「想念観察・感謝瞑想」によって不安・恐怖が存在できない「いま」に集中できる事を教えていただいた○○様、そして「FUJI日本」のグループ並びに、ご担当者様に深く感謝いたします。

想念観察を広めるグループ!FUJI日本



一人でも多くこの記事を知ってほしいので、よろしくお願い致します。
いつもありがとうございます。