想念観察を続けていくと、何度か疑問が出てきます。
あくまでも私の体験からです。


Photo credit:Questions? / valeriebb

最初のうちは何でもかんでも流せばいいと思い、とにかく流れてきた想念を次々と流しまくっていました。
ブログ最初の頃の記事を読んでもらえれば分かると思います。

今思えば、その流すという方法で何度救われたか。
当時の私にとっては画期的な方法でした。

なので、とにかく流れてきたものは次々流していたのです。
その様に教えてもらっていたし、確かにそれで良いのだが…。


その後、数年経ちある疑問が湧き上がってきました。

それは想念と思考との違いでした。
想念と思考ってどう違うのだろうか…。



私、個人の考えとしてですが、

想念とは、

何も考えていなくても、フワ~ッと浮かんでくるもの。
そして、その浮かんできた事に対して、返事なども返ってきたりします。

時には、全く別の意味不明な想念も流れてきたり…。

その繰返しをやっているのです…。

そんなやり取りをしている内、いつの間にか自分の考えが混じってきたりします。
でも、それは自然に流れてくるので、自分で回答を選んだり、あえて意識してはいない。

ひとりごとの様にぶつぶつと…。
そんな感じです。


チャネリングの時の感覚も、それと近いものがある気がします。
まったく同じではないが、感覚的に似ている。

なので最初の頃のチャネリングは、自問自答という想念なのか霊的存在からの答えなのか区別がつきにくかった。


Photo credit:Thinking about small / falequin

そして思考とは、

「思い考える」ということなので、

あえて自分の意思で思い、自ら意識し生まれ出た考え。
ただ流れてくるのではなく、自分から思い考えるということ。


ネットで検索すると、

思考(しこう、英: Thinking)は、考えや思いを巡らせる行動であり、結論を導き出すなど何かしら一定の状態に達しようとする過程において、筋道や方法など模索する精神の活動である。広義には人間が持つ知的作用を総称する言葉、狭義では概念・判断・推理を行うことを指す。

-Wikipedia参照-

とあります。



ときに、

その違いが非常に微妙で、頭の中で想念なのか思考なのか、ゴチャゴチャになって分からなくなる時があります。
そのことに関して、FUJI日本の機関紙では次の様にお話しています。


想念観察は本当はとても簡単すぎて・・・だから出来ないのでしょう。
例えば、善悪判断している場合。

「善悪」で判断している【想念】も観ていればいいのです。

その時、「善悪判断しているからいけない」なんて言う 【想念】が流れてきても、「善悪判断しているからいけない」という【想念】を観て流せばいいのです。

「も~う どうしていいか分からない!」と叫んでいる【想念】が流れてきたら、「も~う どうしていいか分からない!と言う想念が流れてきた。有難う、さようなら」・・・で流すのです。

ものまねオウムのように、ただ反復していれば良いだけです。
やってみて下さい。


Photo credit:Parrot / ennmanasu

しかし想念の種類も沢山あって、理解や疑問などの想念が流れた場合はそれを徹底的にチェックする必要があります。
その見極めが重要です。

チェック方法は現実生活に照らし合わせたり、実践して検証することです。
この手続きをしないと、いつの間にか頭でっかちのみの知識馬鹿が出来上がっていきます。

そして方向を間違えるのです。
実践・検証はちょうど灯台の明かりのような役目をします。

正しい方向を教えてくれるのです。
そして更に意識が進化していきます。

観て観て観て観尽くしながら、実践・検証すること・・・


例えば、「善悪判断することがいけない」ならば、「何故なのか?」徹底的に実生活の中で当てはめながら熟考してみるのです。
様々な角度から「善悪」を考えてみるのです。

この時、「想念」と「思考」の違いについて、ちょっと区別する必要があるでしょう。
しかし「思考」も「想念」の一部ではありますので、余り執着するとしっぺ返しがきます。

その辺のコツを掴むのも想念観察のベテランになる秘訣と思われます。


最終的には、実践や検証で確かめられたどんな高度な認識理解でも、手放していく必要があります。
所詮人間の知恵知識には限界があり、その中で得られたものは・・・やはりあまり価値は無いのです。

初歩的な段階では、ただ観て観て観て・・・観尽くすですが、中間では想念(思考)の実践と検証を入れないと、方向が違って来ます。

想念観察を実践しはじめて数年目?・・・そろそろ中級クラスに入っている人は、実践と検証をバランスよくしてみて下さい。

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「想念」と「思考」の違いを見極める。
そして、それには実践と検証により、正しい方向へもっていけるということです。


Photo credit:Friends see / mzmo

しかし思考も想念の一部だと言っている様に、その思考を追い続けるとしっぺ返しがくる。
要するに想念にハマってしまい、何度も同じ事をやってしまったり、思わぬ方向へ行ってしまったりする。

そういうことです。
私も過去、何度も体験しました。

根本的に元を正せば想念も思考も、実体はエゴです。
チョットややこしいですが…。

エゴが作り上げた以上、中には自分本位な考えも含まれているでしょう。
自己中心的な考えや、善悪判断などがそうです。

 

私的に、

その考えのまま行動するのも良し、一歩立ち止まり実践と検証をしてみるのも自由だと思います。
自由に選択できるので、どう選ぼうが私はかまわないと思います。

何事も体験です。

想念に惑わされることなく、上手く楽しく人生を生きて行く。
失敗するのも、成功するのもその人にとって必要があってそうなるのです。

つまり、想念観察を知った人や実践している人は更なる段階の選択肢であり、それを道しるべ的に案内している。
そして魂の成長と進化につなげていきましょう。

そういうことだと思います。

 

結局のところ難しく考えず、

一つの選択肢があるよ的なことで良いのではないだろうか。
人は自由であり、ある意味、やりたい事は何でもできるし夢だって叶ったりするのだから。

ただ、この世にはルールがあり、それに沿って生活して行かねばならない。
その制限の中で貴重な体験をしていく。

本来の目的そこなので。

 

続きは次回に

※記事中の<Kさん>のお話、あるいは書物などの転載内容は、ほんの一部分です。
興味のある方、詳しく知りたい方は、FUJI日本のホームページをおすすめ致します。

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「不安・恐怖」により、ついつい悩んでしまいエゴに左右されていた自分を「想念観察・感謝瞑想」によって不安・恐怖が存在できない「いま」に集中できる事を教えていただいた○○様、そして「FUJI日本」のグループ並びに、ご担当者様に深く感謝いたします。

想念観察を広めるグループ!FUJI日本



一人でも多くこの記事を知ってほしいので、よろしくお願い致します。
いつもありがとうございます。