グーぐるアドセンス奮闘記 1
参りました。
アドセンスが全然通りません。
Photo credit:Google Adsense Sticker / quickonlinetips
これで、3回目の審査でしたがダメだった。
前は一発で通ったのに、今回は難しそう。
なんか、 聞いたところ、こんな文字を使っちゃいけないとか、他とリンクさせちゃいけないとかあるみたいなので、ページに気を付けて書いていましたけど。
グーぐる先生から来たメールの内容を翻訳して、ポリシー違反の部分を確認してるのだが・・・。
別にコピペやってる訳じゃないし、人の動画を埋め込んでる訳じゃないし。
以前の写真はフリッカーでリンク張ってたけど、それを意識して今はオリジナルにしてるし。
でも無駄か、過去の記事写真も見てるだろうからね。
「ユーザーに重複したコンテンツを提供するwebサイト」って。
私はブログ記事中にリンク張って以前の記事へって飛ばしてるけど・・・。
でもこれはみんなやってる事だし重複ではないな。
それとも、よく読まれてるコーナーか。 あれは、HTMLに直接書き込んだから、しつこいくらいすべてのページに出てくるからね。
それは確かに重複だな。
3回目で何となく分かってきたのは、
私はよく借りてきた資料をそのまま打ってるから、それをコピーとして認識されているのかも知れない。
それは、コピペではないが・・・。
確かに、コピーと言えばコピーだな。
な~んか、だんだん面倒くさくなってきたよ。
確かにアドセンスは大きいが、このブログは資料があってこそ成り立っている様なものだからなぁ~。
だんだん諦めムードになってきてます。
なので、また写真はフリッカー使いました。
「奮闘記 1」 って書いたのは、今回そう簡単には取れそうもない予想がしたので、今後2、3って続きそうだったから・・・。
なので、・・・だから今回は宇宙の人、ア・ランさんのお話をします。
以前からこのブログで紹介してましたが、前回途中で終わってたのでその続きからです。
Photo credit:Aliens / cjdenman
今回もチョット理解するのが大変ですが、面白いお話しなので最後まで読んでもらえればうれしいです。
ア・ランさんがお話しています。
正義について
正義とは、全体的調和の為に行われる行為である。
貴方や一般が正義と判断した事でも、もしこの基本的定義に当てはまらないのであるならそれは、「過ち」と成り、貴方達はいずれその過ちの付けを払わなければならないだろう。
「正義」を知るには、まず全体の有り様を、又対象の有り様を熟知するべきなのだ。
そしてその後に得られる正義こそが、調和への最短距離に在り、「必要」とされるただ一つの行為なのである。
だが或る場合には、そこから得られる「正義」は、「冷たさ」「むごさ」といった印象を貴方に与えるものになるかも知れない。が、それは飽く迄も同情レベルでの印象であって真の愛には関わらないものなのである。
一つのたわいのない例を挙げてみよう。
貴方は卵の殻を既に破り、外界を自由に歩き廻れる雛鳥であるとする。
そしてふと見ると、まだ殻を破って出てくる様子も無い仲間を見つけるのだ。
Photo credit:Chicks! / starsburn
貴方は考える。
殻の外はこんなに自由で気持ちが良いのに、この仲間は何をのんびりしているのだろう。
それにこんな殻の中に入っていて、もし外敵に狙われたら、逃げることも出来ないではないか。
貴方はその仲間を心配する余り、私は絶対に正しい、これをすることは仲間を守ることであり、彼を幸せにすることでもあるのだと言う判断を基に、ある決断をするのである。
それは自分のくちばしで、彼の卵の殻をつついて割ってしまうことであるのだが、その結果、貴方は大変な罪を犯したことを知るのである。
つまり卵の中の彼は、まだ外界に出られる状態ではなかったのである。 貴方はどのように心配であろうとも、決して彼を殻の外に出そうなどと考えてはいけなかったのだ。
この場で貴方の正義は、待つこと以外の何ものでもなかったのである。
貴方の「過ち」が全体の有り様と対象の有り様に不調和を生じさせた場合、対象に対してどのような責任も取り得ないという事実を知るべきです。
そして全体の有り様に対する知識をほとんど持たない貴方達が正義を知るには、まず理解を得、そこから知識を得ていくことから始めなくてはならないのである。
ア・ラン
Photo credit:the EMPEROR / 125321218@N07
Kにメッセージ
進化したい、より優れた者に成りたいという願望に囚われているのが貴方だ。
この願望がある限り「貴方」は存在し続ける。
その願望から自由になり「貴方」を消していくこと、これが行われないかぎり、貴方の望むものは手に入らないと思ってください。
ラジニーシが良い例えを貴方達に用いているが、宇宙を手に入れようとするとき、貴方達はそれを掴もうと手を握り閉める。
だがそれは手の中から宇宙を閉め出している事に他ならず、もし本当に手に入れたいと望むなら、手を開いた状態にしておくべきなのです。
が、この開いた状態を作るには、創造への完全なる理解と森羅が必要条件であり、そのカラクリを知っている我々としても、そこにたどり着くには多くの時間が必要なのです。
エゴ体が発動機であるのなら、その燃料を絶やしてそれを無意味な機械にしていくしか方法がありません。 そして燃料を絶やすという事は、現象に対する理解を一つ一つ得ていくことに他ならないということです。
ア・ラン
////////////////////////
正義について説明していました。
チョット間違えると余計なお世話で、とんでもない事になってしまうという例えでした。
知識不足と小さな親切がそういう間違いを起こすという、場合によってはかなり恐ろしいお話し。
私もそうですが、
これから行う行動、行おうとする行動を、ただ単純に考えやってしまいがちです。
それは仕事でも遊びでも、日常いつでも起こります。
やってしまった後どうなるのか、それでよい結果が予想できるのか。
やる前にその先まで読んでおく必要があるのですが・・・。
なかなか毎日の忙しさの中、その場面場面で難しい場合があります。
つい惰性で、その時の流れでやっちゃた行動です。
ただ、正義については自分が正しいと思っている事なので、人それぞれ当然考え方は違うと思います。
なので、今の状況をより良くして行く行動、逆に言えば結果的に今より悪化させない行動を考える。
そこに気を付ければ良いのではないでしょうか。
自分で良かれと思ってやってしまった行動に後悔しないように気を付けたいものです。
Photo credit:desire / khalilshah
また、願望についてのメッセージについては、
以前書いた
記事:2015年 現実を理解する
よく似ていると思いました。
願望や現実は、まず自分が「こうなりたい、こうしたい」と思う事をまず諦めることから始まる。
諦めて、今のすべてを受け入れる事。
それが、「手放す」という事につながっているのです。
たくさん抱え込んでしまった、その溢れ返った手で掴もうとしても何も掴めませんよ。
なので、まずは開放しておく必要があるのです。
そこに気付くかどうかです。
では、また次回に!
参りました。
アドセンスが全然通りません。
Photo credit:Google Adsense Sticker / quickonlinetips
これで、3回目の審査でしたがダメだった。
前は一発で通ったのに、今回は難しそう。
なんか、 聞いたところ、こんな文字を使っちゃいけないとか、他とリンクさせちゃいけないとかあるみたいなので、ページに気を付けて書いていましたけど。
グーぐる先生から来たメールの内容を翻訳して、ポリシー違反の部分を確認してるのだが・・・。
別にコピペやってる訳じゃないし、人の動画を埋め込んでる訳じゃないし。
以前の写真はフリッカーでリンク張ってたけど、それを意識して今はオリジナルにしてるし。
でも無駄か、過去の記事写真も見てるだろうからね。
「ユーザーに重複したコンテンツを提供するwebサイト」って。
私はブログ記事中にリンク張って以前の記事へって飛ばしてるけど・・・。
でもこれはみんなやってる事だし重複ではないな。
それとも、よく読まれてるコーナーか。 あれは、HTMLに直接書き込んだから、しつこいくらいすべてのページに出てくるからね。
それは確かに重複だな。
3回目で何となく分かってきたのは、
私はよく借りてきた資料をそのまま打ってるから、それをコピーとして認識されているのかも知れない。
それは、コピペではないが・・・。
確かに、コピーと言えばコピーだな。
な~んか、だんだん面倒くさくなってきたよ。
確かにアドセンスは大きいが、このブログは資料があってこそ成り立っている様なものだからなぁ~。
だんだん諦めムードになってきてます。
なので、また写真はフリッカー使いました。
「奮闘記 1」 って書いたのは、今回そう簡単には取れそうもない予想がしたので、今後2、3って続きそうだったから・・・。
なので、・・・だから今回は宇宙の人、ア・ランさんのお話をします。
以前からこのブログで紹介してましたが、前回途中で終わってたのでその続きからです。
Photo credit:Aliens / cjdenman
今回もチョット理解するのが大変ですが、面白いお話しなので最後まで読んでもらえればうれしいです。
ア・ランさんがお話しています。
正義について
正義とは、全体的調和の為に行われる行為である。
貴方や一般が正義と判断した事でも、もしこの基本的定義に当てはまらないのであるならそれは、「過ち」と成り、貴方達はいずれその過ちの付けを払わなければならないだろう。
「正義」を知るには、まず全体の有り様を、又対象の有り様を熟知するべきなのだ。
そしてその後に得られる正義こそが、調和への最短距離に在り、「必要」とされるただ一つの行為なのである。
だが或る場合には、そこから得られる「正義」は、「冷たさ」「むごさ」といった印象を貴方に与えるものになるかも知れない。が、それは飽く迄も同情レベルでの印象であって真の愛には関わらないものなのである。
一つのたわいのない例を挙げてみよう。
貴方は卵の殻を既に破り、外界を自由に歩き廻れる雛鳥であるとする。
そしてふと見ると、まだ殻を破って出てくる様子も無い仲間を見つけるのだ。
Photo credit:Chicks! / starsburn
貴方は考える。
殻の外はこんなに自由で気持ちが良いのに、この仲間は何をのんびりしているのだろう。
それにこんな殻の中に入っていて、もし外敵に狙われたら、逃げることも出来ないではないか。
貴方はその仲間を心配する余り、私は絶対に正しい、これをすることは仲間を守ることであり、彼を幸せにすることでもあるのだと言う判断を基に、ある決断をするのである。
それは自分のくちばしで、彼の卵の殻をつついて割ってしまうことであるのだが、その結果、貴方は大変な罪を犯したことを知るのである。
つまり卵の中の彼は、まだ外界に出られる状態ではなかったのである。 貴方はどのように心配であろうとも、決して彼を殻の外に出そうなどと考えてはいけなかったのだ。
この場で貴方の正義は、待つこと以外の何ものでもなかったのである。
貴方の「過ち」が全体の有り様と対象の有り様に不調和を生じさせた場合、対象に対してどのような責任も取り得ないという事実を知るべきです。
そして全体の有り様に対する知識をほとんど持たない貴方達が正義を知るには、まず理解を得、そこから知識を得ていくことから始めなくてはならないのである。
ア・ラン
Photo credit:the EMPEROR / 125321218@N07
Kにメッセージ
進化したい、より優れた者に成りたいという願望に囚われているのが貴方だ。
この願望がある限り「貴方」は存在し続ける。
その願望から自由になり「貴方」を消していくこと、これが行われないかぎり、貴方の望むものは手に入らないと思ってください。
ラジニーシが良い例えを貴方達に用いているが、宇宙を手に入れようとするとき、貴方達はそれを掴もうと手を握り閉める。
だがそれは手の中から宇宙を閉め出している事に他ならず、もし本当に手に入れたいと望むなら、手を開いた状態にしておくべきなのです。
が、この開いた状態を作るには、創造への完全なる理解と森羅が必要条件であり、そのカラクリを知っている我々としても、そこにたどり着くには多くの時間が必要なのです。
エゴ体が発動機であるのなら、その燃料を絶やしてそれを無意味な機械にしていくしか方法がありません。 そして燃料を絶やすという事は、現象に対する理解を一つ一つ得ていくことに他ならないということです。
ア・ラン
////////////////////////
正義について説明していました。
チョット間違えると余計なお世話で、とんでもない事になってしまうという例えでした。
知識不足と小さな親切がそういう間違いを起こすという、場合によってはかなり恐ろしいお話し。
私もそうですが、
これから行う行動、行おうとする行動を、ただ単純に考えやってしまいがちです。
それは仕事でも遊びでも、日常いつでも起こります。
やってしまった後どうなるのか、それでよい結果が予想できるのか。
やる前にその先まで読んでおく必要があるのですが・・・。
なかなか毎日の忙しさの中、その場面場面で難しい場合があります。
つい惰性で、その時の流れでやっちゃた行動です。
ただ、正義については自分が正しいと思っている事なので、人それぞれ当然考え方は違うと思います。
なので、今の状況をより良くして行く行動、逆に言えば結果的に今より悪化させない行動を考える。
そこに気を付ければ良いのではないでしょうか。
自分で良かれと思ってやってしまった行動に後悔しないように気を付けたいものです。
Photo credit:desire / khalilshah
また、願望についてのメッセージについては、
以前書いた
記事:2015年 現実を理解する
よく似ていると思いました。
願望や現実は、まず自分が「こうなりたい、こうしたい」と思う事をまず諦めることから始まる。
諦めて、今のすべてを受け入れる事。
それが、「手放す」という事につながっているのです。
たくさん抱え込んでしまった、その溢れ返った手で掴もうとしても何も掴めませんよ。
なので、まずは開放しておく必要があるのです。
そこに気付くかどうかです。
では、また次回に!