水瓶座讃歌 参照


 -青い空 / シアノスヤーナ-

真理を求めるということは、皆さんが絶対的で確実な何かを欲しいからなのです。
生きる上において、安心できる何かが欲しいからなのです。

それは裏を返せば、皆さんが常に不安で、生きる上において頼れるものが無いということが言える訳です。


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そして問題は、その不安で頼れるべきものがないという、その貴方の主観的自分の世界、皆さんの信じて疑わない不安な世界、そこに固守していることが最大の問題なのです。

どのようなことを知ったところで、どのように探求したところで、皆さんが自分の世界を持ち続けている間は、コマネズミのように同じ所をグルグル回り続けるだけです。



私が様々な観点で話をし、またこのような書面を通して伝えている事柄の一つ一つに対して、皆さんは「なるほどそうだ」と、うなづかれるかも知れません。

そのうなづく、理解している貴方が、そのうなづき続ける主観的自分の世界を脱出出来ない限り、真理を知ることは出来ても、真理と一つになることは出来ません。

皆さんの知っている世界・・・それがなんであれ、それが楽しく幸福に見える世界であれ、醜く争いに見える世界であれ、全て虚像なのです。

何故ならば、その虚像を存在せしめている鏡こそ、真実の皆さんの姿なのです。



皆さんは月を見ます。
しかしそれは目に映った虚像の月を見ているのであって、真実の月を見ている訳ではありません。

皆さんが他者の姿を見る時、それは貴方の知っている既成の判断の世界でその人を見ているのであって、真実その人を見ることは出来ないのです。

この不完全に見える世界を完全なものに変えようとしているのが、今の皆さんです。

世界平和も、人々の分ちあいも、人間が幸福に暮らしたいという要求がこれほど強いのも、それは不完全に見えるこの世界を、完全な世界に変えていきたいという要求の現われだと云えます。

しかしそのような理論で人類は5千年生きてきました。
結局何が残ったのでしょう。

それは不完全が、ただ、より強力にクローズアップされたにすぎません。
キリスト、仏陀、多くの聖人が真理を解き続けてきました。

その結果、何がどのように変わったのでしょうか?
いたずらに真理を求めるのは謹みなさい。

多くの聖人たちですら、結局、何も出来なかったではありませんか?
違いますか?

それは聖人たちに問題があるのではなく、皆さんが、ただ皆さんの知っている世界に固守したがために、聖人たちの真実伝えたい事が聞き取れなかったのです。


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多くの目覚めたグルは、今も無言でこのように語っています。
「宇宙は完全であるがゆえに、不完全というひずみ(水面に映った像)が現れると・・・ここに全てがあるのです。

さあ今、頭で掴もうとしている皆さん、その理屈をかなぐり捨ててご覧なさい。

ある山手にとても素晴らしい家が建っています。
つまり快適空間ですね。

瞑想センターもそのような居心地の良い快適空間になることでしょう。

しかし地球の立場から見れば、それは大地の上に連なる部分にしか過ぎません。
それはこの広大無辺なる宇宙という庭と比較したら、余りにも窮屈で、余りにも息苦しいものです。

皆さんの住んでいる地球も、宇宙から見れば一つの点にしか過ぎません。
ましてや皆さんの思考の世界、真理の探求を通して何かを知り、何かを掴もうとする世界・・・。

それは無限をさすらうチリのようなものです。



生まれてくる前の世界、死んだ後の世界、それがどのような世界であるのかを誰が知りえることが出来るでしょうか?

結局、皆さんは死んだ後、今、貴方の中で知っている世界に住むことになるのです。
それは無限をさすらうチリのようなものでしょう。

それがエゴの世界です。
皆さんの知っているその世界の愚かさを悟った時、皆さんは理解されるでしょう。



地球が破滅したところで宇宙は微動だにしません。
皆さんが何かを知ったところで、宇宙にとってはどうでもよいことなのです。

皆さんがどのように創造を求めたところで、それは広大無辺なる宇宙にとって、全く役立たずのがらくたなのです。

それらは全て、鏡に映った虚像なのです。

知ることに翻弄されている間は何も得られないでしょう。
だってそうでしょう・・・水面に映った像は、触れることも嗅ぐことも味わうことも出来ないのですから。

この宇宙に役割というものは存在しません。
皆さんは地球に起こる現象の一つ一つを、必要性があって創造が存在させていると納得しています。

まあ、確かにそのように理屈で暗記しないと、不完全なものを完全なものに変えたい貴方達の要求・・・つまりエゴは満たされないからです。

その現象に見えるもの、聞こえるものは、何一つ存在していません。
この肉体も、感情も、心も、地球すらも、存在していません。

それはどこまでも水面に映った像なのです。
貴方たちが真に体得したとき、このパラドックスを堪能することでしょう。

そしてこのメッセージについて、皆さんは又ああでもないこうでもないと考える事でしょう。

大空をどうやって掴むのですか?
そのように掴もう、知ろうとする皆さんの世界から脱出してこそ、皆さんは青い空は百億光年の彼方にあったわけでもなく、貴方の目の前に在ったことを思い出すことでしょう。

青い空は常に皆さんと一つになって生きています。
皆さんの要求が消滅した時、青い空は無垢なるそのまんまの姿を皆さんの前に現すことでしょう。


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常に死について考えなさい。
死んでもいない皆さんが、死を克服できるなんてことはあり得ないという事を知りなさい。

何故ならば、皆さんは死に対して多くのイメージが付着しています。
宇宙と一つになるということは、死をみつめるという事が云えます。

人はどこから生まれてどこに行くのか・・・それについてこのように答えられます。
人はどこからも生まれてこず、どこにも帰れない・・・・

宇宙と一つになるということは、想像出来ない世界と一つになるということです。

皆さんが宇宙意識に対するイメージに固守している間は、その宇宙意識は皆さんの目の前に姿を表わすことは絶対にありません。

唯一現れるのは、固執意識だけです。

神秘とは、とてつもない勇気が必要なのです。
皆さんの知っている世界・・・その安全弁にしがみついている限り、それは手に入らないことを知りなさい。

皆さんはいずれ皆さんが想像も出来ない世界に帰ることでしょう。

しかしそれは、おおくの知っている世界、既成、判断、常識を持っている人にとっては、その想像絶する世界は、想像も出来えぬ恐怖の世界になることでしょう。



宇宙意識とは、今の皆さんの目には恐怖の世界としか映らないのです。
宇宙意識とはそのようなものです。

想像を超えた神秘の世界に対して、誰が考えることが出来ましょうか?
誰が言葉で説明することが出来ましょうか?
誰がそれについて議論することが出来ましょうか?

宇宙意識こそ、実は最大の恐怖なのです。
無重力の空間の中に、皆さんの肉体がさらされれば、数十秒でその肉体は爆発することでしょう。

その世界を超えたところに宇宙意識が存在しているのです。

それこそ正に青い空です。
それこそ正に大空なのです。

それを求める・・・そして求める要求をかなぐり捨てる人こそ、神秘家なのです。
その人は答えを持っていません。

しかし多くのことを語り続けることでしょう。
その人は皆さんを、からかいながら人生を謳歌することでしょう。

宇宙意識を得るということは、皆さんにとっての最高の恐怖だということを理解して下さい。

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昨日、夜、寝るのが遅かったせいか、今日起きるのが遅かった。
仕事も休みだし10:00ごろまで寝ていました。

朝、目覚めれば、当たり前のように今日一日が始まります。
イヤな一日もあれば、最高な一日もあります。

それは、自分の寿命が尽きるまで繰り返し続きます。


シアノスヤーナさんが最初にお話している様に、

ここは虚像の世界。
鏡に映った虚像の世界です。


Photo credit:I have been searching all my days. / catestorymoon

 記事:2015年 現実を理解する
 記事:三次元とは、雲の上に建てた砂上の楼閣

だからといって、「現実ではない」という訳ではありませんよ。
この世界にいる限り、この世界では100%の現実として存在しているのです。

そこがややこしいところなんですが…。

現実では肉体に備わっている五感として、自分に振りかかる出来事を全て感じ取り、脳が考え整理しどうすれば良いのか自らの行動を制御します。

なので、目に見えるものは実際に存在しているし、手でさわるものは感触通りのものがある。
人間同士の意思の疎通なども、言葉を通して脳が理解し分かり合えるのです。

いまの現実は現実として実感し、朝目覚めれば昨日の続きとして今日が始まるのです。
その繰り返しです。



それでは一体、虚像とは何なんだろう。
その表現の意味は?

あなたは、夢と現実の区別が出来るでしょうか。
夢を見ているあなたは、これは夢なんだと気付くことが出来るでしょうか。

夢から目覚めてはじめて夢だったと気付くと思います。

以前にも書いたかも知れませんが、この世は「映画:マトリックス」やゲームの様なものだという。
しかし、単なる人生ゲームではありません。

広大な三次元の地球という舞台で超精密に造られた肉体を持ち、様々な体験を通して成長していくRPGです。
自分が決めた寿命の中で、楽しんだり苦悩したり、ここでしか味わえない体験を知り進化して行くこと。

超リアル人生ゲームです。
ゲームと云えば聞こえが悪いですが…。

 記事:覚醒者と盲目者

プレイヤーは自分自身。
と言っても、本当の自分ではなくエゴ意識です。

このエゴをどう使うかによって人生に変化が現れてきます。
一般の人はエゴという意味は、別の意味で捉えている方が多いです。

しかし、エゴというものを知ろうが知るまいが、体験し進化して行くという魂としての目的は変わらない。
エゴがどういう性質があり、どんな作用をしているのか知らなくても、人間は進化して行くということです。

 記事:エゴを理解して! そしてエネルギーを与えないで

でも、どうせゲームをするなら上手く物事を進みたい。
長い人生、山あり谷ありですから。

私はいつも一歩下がって物事を見る様にしています。
自分の肩越しに視線を置く感じです。

要するにエゴを観ているということです。


Photo credit:"There is no greater agony than bearing an untold story inside you." / catestorymoon

視野に自分というものを加えて全体像を見る。
そうすることで、エゴが何を考え、どんな行動をとっているのか分かるのです。

冷静な判断力も付く訳です。
エゴが悪いと言っているわけではありませんよ。
エゴも自分自身なのですから。

 記事:進化の法則を知ってください!

以前に書きましたが、エゴは肉体と密接な関係があります。
エゴを知ればこのゲームも面白いものになるかも知れません。


続きは次回に

※記事中の<Kさん>のお話、あるいは書物などの転載内容は、ほんの一部分です。
興味のある方、詳しく知りたい方は、FUJI日本のホームページをおすすめ致します。

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「不安・恐怖」により、ついつい悩んでしまいエゴに左右されていた自分を「想念観察・感謝瞑想」によって不安・恐怖が存在できない「いま」に集中できる事を教えていただいた○○様、そして「FUJI日本」のグループ並びに、ご担当者様に深く感謝いたします。

想念観察を広めるグループ!FUJI日本



一人でも多くこの記事を知ってほしいので、よろしくお願い致します。
いつもありがとうございます。