地球ではなぜ平和が保たれないのか考えたことがあるだろうか?
それはあなた達の「平和」が、実際にはエゴ体の「都合」以上の何物でもないからだ。
それは、あなた達がなぜ平和を望むのか、その理由を分析すれば明らかになることなのだが、それが「都合」である以上、「他の都合」に簡単にひっくり返されてしまうのである。
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あなた達は平和を望む・・・それは決して嘘ではない。
だがそれは、戦争が環境破壊や多くの苦しみや悲しみ、また死を呼ぶものであり、そんなものは実際「困る」ことだからだ。
これはエゴ体が基本的に持ってしかるべき「都合」だ。
だが、あなた達に他の非常に重要だと思われる、しかも現実に直面している「都合」が来ると、それは脆くも崩れ去ってしまう。
たとえば経済だ。
経済事情が思わしくない・・・この程度であればあなた達は話し合いを持って、何とか解決の道を見つけ出そうとする。
戦争は危険な賭であるし、「起こしてはいけないこと」だからだ。
だが、それが決定的に悪化すると、あなた達は話し合いを止めて、結局武器を取らざるを得ないような状況を作り出すだろう。
これが「都合」以外の何であるのだろう。
過去に起きた宗教戦争にしても、唯一の神、唯一の真理が二つも三つもあっては「都合」が悪かったのだ。
彼らは偽物を破壊する必要があり、また実際なされ、信じられないことだが、それは現在にも及んでいる。
それではもっと個人レベルで話してみよう。
あなたは「私だけは絶対に違う。都合などで殺し合いをするくらいなら、自殺した方がましだ」
と思うかも知れない。
しかし残念なことだが、これもその多くは非常に簡単に崩れ去っていくだろう。
確かにあなたからは、決して人を殺したりはしないだろう。
だが想像力を働かせてご覧なさい。
たとえば、経済事情のこじれから、それぞれが大義名分を掲げ、国レベルの戦争を始めたとしよう。
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あなたはプラカ-ドを掲げ、戦争反対を唱えながら、仲間とともに通りを練り歩くかも知れない。
だがそんなことにはお構いなしに、相手国の空からの攻撃を受けることになるだろう。
そしてこのただならぬ事態にはプラカ-ドは及ばないと知り、防御の対策を練らなければいけなくなる。
それにもかかわらず、やがて殺戮はあなたの最愛の親、子、友、妻、夫、兄弟にも及ぶことになるだろう。
あなたの深い悲しみは怒りへと変わり、それは戦争そのものへというよりは、むしろ直接その人々を殺した相手に向けられる・・・「許せない」と。
そして相手国の人々も同じ悲しみを受けているであろうことなど、同情すら及ばなくなる状態となるのだ。
このようにして両国の一部の人間が始めた戦争は、それぞれの国民の間に確実に浸透していく。
消極的な防御に変わり、それがさらに戦争の炎を大きくする。
これがあなたがたの多くがたどっていかなければならない過程なのである。
あなたがたの平和は、是非にも「都合」から他のものに変質しなければならない。
変質がない限り、戦争は起こり続ける。
その良い証拠に、地球上にある国のほとんどが軍を持ち、その時に備えて準備を整えている。
変質は理解からだ。
理解以外に変質を起こす方法はない。
その理解とは、なぜ生命が存在し、またそれがなぜ輪廻転生によって繰り返されていくのかを知ることだ。
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最近は戦争というより、テロと思われる攻撃が非常に多いですね。
人間一人一人、考え方は皆違うからしょうがないのだが…。
まして種族が違うと、風習や習慣、常識まで変わってしまう。
それは、同じ日本に住んでいても感じるものがありますよね。
あの県はこうだからとか、あの地方はああだから…、よく言います。
身近なところでは、家ではこれが常識なんだが、◯◯家では全く違っていてビックリ。
なんてよく聞きます。
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この様に、人間は育ってきた環境や性格などによって、一人一人考え方や価値観が違うのです。
それが、この小さい星、地球にゴチャッと住んでいる。
当然、衝突が起きますよね。
だが、それを起こさせない為に、上手いこと丸く収まる様に各国が代表を決め話し合いをする。
何処もギリギリのきわどい微妙なところにいる気もしますが…。
以前にもお話しましたが、
戦争は正義と悪のぶつかり合いではなく、正義と正義のぶつかり合いなのです。
ブログ最初の頃の記事でヘタクソな文章ですが、善悪判断について書いています。
記事:善悪判断
なので、お互い自国としては正義なのです。
ただ、考えが違うため、相手を悪として見てしまう。
自国のためベストな選択をしている。
お互いそれを貫こうとする。
だたそれだけのことです。
ア・ランさんのメッセージを読んで、改めてエゴの本質がハッキリ見えてきます。
<「都合」である以上、「他の都合」に簡単にひっくり返されてしまうのである。>
エゴは時と場合によって、自分が持っていた信念や感情が根底からひっくり反る状況に陥る。
これは別に戦争でなくても、身近にいくらでもひそんでいると思います。
例えば、誰もが一度は経験したことがある失恋。
何年越しに、恋い焦がれていた彼・彼女に対して一つの答えが出された時。
チョットおおげざかも知れないが、崖から転げ落ちたショックにも似た衝撃を体験された方もいると思います。
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その瞬間から180度変わってしまう。
空気が、空間がまるっきり変わってしまう。
しかし、周りは何一つ変わっていない。
いままで見ていた景色や色は全く同じなのに、変わったのは自分だけなのだ。
自分の心にポッカリと穴が開いたことに気付くのです。
そうです、いままで温めていた大切なものが一瞬で無くなったことに気付く。
非常にむなしく、そして行き場のない現実が押し寄せてくることに気付くのです。
人によるかも知れないが、
相手に対して全く悪意など感じないとすると、うそになるでしょう。
少なくとも相手は自分に対してNOという答えを出したのです。
感情的には憎いとまでいかないにしても、相手に対して今までにない別な感情を感じてくると思います。
それに対して、仮に自分が悪い、自分に魅力が無いから仕方がない、相手は星の数ほどいるのだから…。
そう思うのはナンセンスだと思います。
それこそ自分に言い聞かせているだけで、エゴの防衛システム全開状態でしょう。
この失恋による心の感情の変化は、それこそア・ランさんが言う「都合」という要素を含んでいると思います。
人間はこの都合というものによって心が入れ替わってしまうのです。
小さい例えでしたが、
そして、その <「都合」から他のものに変質しなければならない。>
とも言っています。
<変質は理解からだ。
理解以外に変質を起こす方法はない。
その理解とは、なぜ生命が存在し、またそれがなぜ輪廻転生によって繰り返されていくのかを知ることだ。>
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それはスピリチュアルの世界に入ります。
最終的にそこにたどり着くということ。
根本的に三次元にいる私たちは、やはり三次元のものの考え方しか出来ず、四次元、五次元、まして高次元の考え方には入って行けない難しい現実がある。
なぜ生命が存在しているのか。
なぜ輪廻転生によって繰り返されていくのか。
今日までお読みになった読者様なら分かっていただけると思います。
続きは次回に
※記事中の<Kさん>のお話、あるいは書物などの転載内容は、ほんの一部分です。
興味のある方、詳しく知りたい方は、FUJI日本のホームページをおすすめ致します。
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想念観察を広めるグループ!FUJI日本