所有について  ア・ラン


結論から先に言おう。

貴方は何物も所有することは出来ない。
貴方自身が所有していると疑わない自身の肉体あるいは心でさえも所有することは出来ない。

私が言わんとしていることは、いずれ好むと好まざるに拘らず、全て放棄しなければならない日が来るということだ。
貴方が日頃自分のものであると思っているものについてもう少しクリアーな目でご覧なさい。


Photo credit:zippo / maku_kaija

例えば貴方のライターをテーブルの上に置いてじっと見詰めなさい。
「貴方のもの」と言う実感がどれくらい掴めるだろうか。

それはそれを必要としている貴方に近付き、又、通り過ぎているものでしかない。
期限付きの(期限付きの所有権)それを表すのに一番ピッタリの言葉を貴方に教えてあげよう。

それは「縁」だ
縁以外の何物でもない。

貴方が日頃なにげなく使っているこの言葉に、実は非常に深い隠されていることを考察しなさい。



さて、所有ということについて、又違った角度からお話することにしよう。
それは所有欲についてです。

ほとんどの人が身の周りのものを集めることに熱中している。その度合いにいくらかの違いはあっても、(まずマネーだ。)と貴方達自身の品質表示に【太字】で示されている。

私が地球においてコンタクトし、ある程度の理解に導くことが出来た人間ですら、その品質表示の字を、やっと【細字】に変えられたくらいだ。

私は彼女を「もっとさん」というあだ名でからかったのだが、貴方がた地球人は皆、「もっとさん病」(もっともっと欲しい病)にかかっている。



さて、病気であるのなら、まず第一に病原菌を突き止めるのが利口なやり方と言うものだろう。

ここでも結論から先に言ってしまうと、これは僅かな期間存在するだけの肉体を絶対視すると言う錯覚から、貴方達の心が始り、又、育ってきたということに尽きる。

ただ、ここから先は言わないことにしよう。
貴方を過保護にすることが余り好ましくない結果をもたらさないことを、私は知っているからだ。

ただ、処方箋だけはしめしておくことにしよう。


Photo credit:I AM LEAVING...BYE / lexrex

それは瞑想において無限性或いは永遠という言葉と親しく付き合うことです。
(彼らほど副作用の全く無い特効薬は無いように思われます。)

そして彼らは貴方の持つ種々の病を治す万能薬でもあるのです。

貴方達は彼らと付き合っていくことで、イエスの言った(霊)から生まれなさいという真の言葉の意味を、又釈迦の使った八正道の真の意味を知ることになるだろう。


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このことについて、もしかしたら以前に書いたかもしれません。
なので、同じ事を書くかも知れませんが、またかと思わずお付き合い下さい。

今回のア・ランさんのメッセージは非常に分かりやすくお話しています。
この三次元において、自分のものは何一つないというお話です。

自分の周りにあるものは全て(期限付きの所有権)である。
縁あって有るのであって必要が無くなれば自然と離れてしまう。

逆に言うと、いま周りにあるものは必要だからあるということです。
たとえそれが、これからも使わないガラクタであったとしても、何かしらの意味があって自分のそばにあるわけです。


そして自分の体や心でさえ自分のものではない。
いずれ寿命が尽きれば、体は焼かれ灰になり無くなってしまうのです。
それこそ期限付きの所有権です。

自分自身だと思っていた「心」だって実はエゴで、体を守る防衛システムであり反応であった。
こう言うと、今まで自分のものだと思い信じていたものが、何一つないのだと理解されてきます。



このブログのテーマでもある自分とは一体何なのか。
それは肉体でもない、心でもない、考える頭脳でもない。

霊魂である意識体なのだということ。


では、人も同じなのか…。
出会いのことです。

生まれる前に、綿密な計画を立てて数々の約束を交わしこの世に来た。
自分で親を選び、成長する過程の中で様々な出来事を体験していく。

今まで話してきたことです。


Photo credit:Encounter / andy_bernay-roman

出会いも同じ様に、自分に必要な時に必要な出会いがあるのか。
自分で何かを体験した時、それ相応の出会いや人が絡んでいるのか。

私は人との出会いも偶然ではなく、それも自分で決めてきた。
今までの体験でそう信じています。


これは自分が優位に計画したものではなく、あくまで進化を前提として計画している。
たとえば、最悪の状況下に立たされた時、助け舟的存在者をあえて与えない場合だって考えられると思うのです。

何が言いたいのかと申しますと、

自分の課題や足りないことを体験しに来たとしたなら、とことんそれに徹するような環境を作るように動かされたり、自ら選択していくのかも知れない。

人はそういう状態に追い込まれて初めて、しみじみと感じるわけです。
そして「真にわかった」「身を持ってわかった」とは、実際にその場に立たされ、体験させられ初めてわかることなのですよ。

最悪の状態、崖っぷちに追い込まれ後がない。
しかし誰も助けてくれない…。

その時の体験は、非常に苦しいことだが、逆に貴重なことでもあるのです。

仮にそれが、いまの自分の課題や足らないことだったとしたならどうでしょう。
そしてそれを真から受け止め、真からわかったなら。

その時、何か一つ、大きな何かをクリアしたと思うのです。
クリアしたはずなのです。

逆に最悪の状態から第三者によって助けられたのなら…。

それは、その時の相手に対して感謝の気持ち、「ありがたみ」を体験することが必要だったのかも知れない。
ありがたみを体験するために相手が必要ならば、遠い約束を交わした相手との出会いが必ずあるはずです。

そういうことです。


Photo credit:hunter / spiritual_marketplace

でも、いまがどんな状況であっても、どんな環境だったとしても大丈夫なんですがね。

この年になって、過去を振り返ってみれば本当に色んなことがありました。
何だかんだと文句を言いながらでも何とかなってきました。

その当時は非常に悩んだり、苦悩したりしましたが、今ではあんなこともあったなー、くらいの思い出です。
そのおかげで、貴重な体験を得たのですから。

それこそ悩むだけ損だった気がします。
「何とかなるように私は計画してきているのだ」、くらいの気持ちでいた方が精神的に楽です。

 

チョット所有から離れてしまいました。
お話を戻しますが、

私達は霊であり肉体はもちろん、周りにあるものは何一つ自分のものではないということ。
それは自分の寿命があるまでの期限付きのものであり、縁があって近くにあるだけで必要なければ離れてしまうか、欲しくても手に入らない。

記事:チョットいっぷく! 周りにあるものは今だけの縁です

前回の記事です。

同じことを宇宙の人、クリエさんがお話していました。
人間の進化段階を先に進化させている出生星が違う二人が、同じお話をしていることに気付いて下さい。

なーんとなく以前に書いた記憶があるなーって思ったのはこの記事だったんですね。

 

続きは次回に

※記事中の<Kさん>のお話、あるいは書物などの転載内容は、ほんの一部分です。
興味のある方、詳しく知りたい方は、FUJI日本のホームページをおすすめ致します。

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「不安・恐怖」により、ついつい悩んでしまいエゴに左右されていた自分を「想念観察・感謝瞑想」によって不安・恐怖が存在できない「いま」に集中できる事を教えていただいた○○様、そして「FUJI日本」のグループ並びに、ご担当者様に深く感謝いたします。

想念観察を広めるグループ!FUJI日本



一人でも多くこの記事を知ってほしいので、よろしくお願い致します。
いつもありがとうございます。