Photo credit:B33 - HorseHead Nebula / skiwalker79
最初の頃に書いた記事で私達は、ここ地球に来る前にいろんな星々から来たって言いました。
それは、もちろん制限のあるこの星で、体験を通して自らの魂を進化させる。
確かにその為なんですが 「それだけではないんだ」と、どうしょうもない気持ちになるんです。
「私は昔から星を眺めては、何のために生まれてきたのだろう。
私はどこから来たのだろう。
などと、ぽっかりと心に穴があいたような、いたたまれない気持で星を眺めていました」
これは今では、よりいっそう強く感じて来ているんです。
…その、強く感じるって感情は、前世の記憶なのかも知れません。
前世が何だったのか、私は知りません。
当然、記憶を消して白紙状態で、ここへ来れたわけなのですから。
でも、なぜか最近夜星を眺めていると、「あそこから来たんだ」って言う思いが強く出てくるんです。
シリウス、アンドロメダ、ベガ、プレアデスなどの星々が頭をよぎるんですよね。
今では、確実にその星はもちろん、それ以外にも形こそ違っても知的生命体はいると思います。
Photo credit:Planet and Nebula / rmatthendrick
SF映画の見過ぎや単なる自分勝手な妄想なのだ、そう割り切ってしまえば何も始まらないし、進歩も無ければ創造もありません。
それでは、ちょっと悲しすぎます。
それで、すべてが、おしまいになってしまいますから。
どこか別の惑星から、どこか別の文明から来たのではと。
そう思ってしかたないのです。
そのように思ったことありませんか。
実を言うと、こんな夢を何度も見ているんです。
夢ばかりで、信頼性が無くて申し訳ないですが。
Photo credit:Carina Nebula: 14,000+ Stars (NASA, Chandra, 05/24/11) / nasamarshall
空は完全な赤紫色です。
この手の夢ではいつも、この赤紫色なんです。
その上空にはたくさんの大小の星々があります。
一見赤紫色なので、星々は見えにくい様に思いますが、それが実に良く見えて、輝いて見えているんです。
その眺めは、明らかに地球からの眺めではありません。
どこか別の惑星からの景色です。
その景色が非常に印象的でハッキリ覚えています。
私は、誰か数人と、もしかして家族かも知れないです。
非常に幅の広い道路を中心に向かって歩いています。
私達だけではなく、たくさんの人々が皆同じ方向に向かって歩いているんです。
なぜかその進行方向が中心だと、そこが目的地だという事は自然と分かっているのです。
そこでは車などは無く皆歩いていて、地球の時代でいうと明治・大正時代のレベルでしょうか。
道も整備されていないので、ガタガタ道路です。
足元を時々見ながら歩いていたので良く覚えています。
Photo credit:Hubble's New Eyes: Butterfly Emerges from Stellar Demise in Planetary Nebula NGC 6302 / gsfc
それは、
避難しているのです。
何から避難しているのか分かりません。
しかし、大勢の人たちと一緒に同じ方向に向かい避難しているのです。
夢はいつもそこで終わります。
Photo credit:Infrared Horsehead Nebula / hubble-heritage
この夢は5,6回は見ています。
いつも同じ所で、終わってしまうんです。
避難しているのは、夢の中で分かっているので、とにかく何処か安全な所へって思いだけが残って目が覚めるんです。
その夢は思いがけない結末が待っていました。
続きは次回に。
※記事中の<Kさん>のお話、あるいは書物などの転載内容は、ほんの一部分です。
興味のある方、詳しく知りたい方は、FUJI日本のホームページをおすすめ致します。
--------------------
想念観察を広めるグループ!FUJI日本