人間はどんどんと波動が高くなりますと、とてつもない事件や事故などで試されます。
これは、神人クラスであれば、半端な事ではありません。

 

以前書いた記事で、人が体験を通して成長して行く過程を「妨害してはならない」という宇宙の法則は、私の友人の商売のお話でした。
     「宇宙の法則3」2014-06-01


生きるか死ぬかの深刻なお話ではありませんでしたが、友人が体験するべき事を私が妨害しようとしましたが、かないませんでした。

でも、私としてはあくまでも「忠告として」のつもりでしたが、宇宙の法則的には妨害となっていたんです。


Photo credit:Interacting Galaxies Arp 273 / hubble-heritage

この法則について、FUJI日本の<Kさん>は、ものすごいお話をしています。
少し長いですが非常に良いお話なので読んでもらえれば、いつか自分のためになると思います。



<Kさん>が言います。


 聖書の中の「ノア」のお話です。


すべて、上からの色んな事を聞いていて、色んな難を逃れて自分も成長し、みんなも幸せになった。

ある時、子供を今までのお礼として、差し出しなさいと言われたのです。

ものすごく苦しんだのでしょう。
子供を生贄に出しなさいと言うことなのですから。


苦しんで苦しんで…、でも結局出すことにしたのです。

そして、子供を燃やす為の木の上に、子供をしばりつけて火を付け、燃やそうとした寸でのところでストップさせられたそうです。

…。


 試されたんですね。


そう言う極端な試しが来ます。

これはもう、本当にある程度高くなってからの事で、「こんなハードルまで越せるか」という試練です。

他人の事などは、きれいごとで片付けられますが、いざ自分の身内の不幸というものに対して本当に執着なく出来るかという事です。



Photo credit:God Bless America / maf04

これはどういう事なのかと言いますと、

 お釈迦様のお話です。


お釈迦様の国は非常に小さな国なのですが。
その当時、大きな国の人たちは、小さな国を統合させると言う流れがあったのです。

そして大きな国の王様は、お釈迦様の弟子でもあった。

それで、釈迦に聞くのです。


いま自分は、釈迦の国である、この小さな国を統合したいのです。
と、話をもっていきました。

釈迦の父や母やみんなは嫌だと言います。

嫌ならば統合させる為に、強制的な手段をとらねばならない。


しかし、釈迦は先生です。

先生あなたがもし、それをやってくれるなと言うのであれば、師の言うことには逆らえないので私は攻めません。


そこで釈迦は言います。

あなたは王なのだから、王の道をまっとうしなさいと。



それではと攻めて行くと、攻めていく道の上にどっかりと座禅を組んでいるのです。
それも2度も。


Photo credit:Tranquility Tree / slimdandy

それで、まさか師を踏み散らして攻めるわけには行かない。
2回攻めましたが、2回ともそこで引き返してしまうのです。


ところが、3回目に攻めに行ったところ、そこにはもう居ませんでした。


そこで、全部焼き討ちし、焼き払って釈迦の国はもう全滅です。


Photo credit:Agni- The Fire God- Free Texture / spiritual_marketplace

…。

 そして統合されたのでした。

 

<K>さんは、その話を宇宙のひとに聞きました。

その時に自分の父や母、そして子供や奥さん、全部焼き払われる。

仏陀はその時何をしていたのですか?
どういう状態だったのですか?

 

「ゼンリョウ」に入っていましたと答えました。
ゼンリョウ?<K>さんはその時にはまだ、その言葉の意味が分かりませんでした。


その後、分かった事は、こういう事なのです。

仏陀が何ゆえ平静でいられたか、1回、2回はやっぱり自分の師であるため焼き討ちなど出来なかった。

とてもつらい事です。
3回目で彼は悟ったのです。

焼き討ちされる、自分の父でも母でも子供でも奥さんでも、その道を彼らは選んでいるのです。

その体験を通して成長する、その青写真を彼らは選んで生まれて来ているわけです。
それを妨害してはならないという宇宙の鉄則があるのです。

宇宙法則の中にです。

 

彼らはそれを成就されたわけです。

それで、王様はそれを成就させてあげたわけだし、その父や母はそれを成就したわけです。

その体験を通して得がたい魂の進化、ハードルを越えたわけなのです。

それをただの三次元的な情実で、師弟関係の弱みを持って妨害するという事は、宇宙法則に反する。

 

だからと言って、人間どう考えても 「それは嫌だ」という事に負けてしまうわけです。

しかし、3度目にはその情に、「その情はいけない」という事に気づき、そして完全に彼らの成就と自分の個人的な感傷とか情と言うものを消化させたわけなのです。 

 

例えば釈迦みたいに、高いハードル越えなければならない人間は、すべての執着を妻や子供、両親に対しての執着を手放し、すべて個人として尊重する。

そのような人間には、それなりの凄い試しが来ます。



Photo credit:“Spiritual growth is the only real growth / shriradhemaa

そのような成長過程で極端な神人とならなければならない、その直前にはこの様な極端な肉親に対する執着までも、完全に断たなければならない、そう言う事件が起こされるのです。

だからと言って、あの人は極悪人だから、そう言う「ツケ」が来て、悪い状況が起こったのだ、とはまったく違うことなのです。

すべてこの世のものと言うのは、教科書なのです。

場合によっては極端な、越さなければならないようなプロセス、教科書を突きつけられる時もあります。


Photo credit:Meister Eckhart / h-k-d

あの人は本当に裏表がないすばらしい人なのに、何でこんな事が起きるのだろう。
どっかで、悪いことをしているんじゃないだろうか。

って言うのは今までの考え方ですが、決してそうではないのです。


でも一般には、そこまでの試しと言うものは来ませんから、日々のすべてに感謝する。

そして、想念は自分ではない、想念を逆手にとってエゴ想念に逆らったコントロールの仕方などをマスターすることによって、だいたい現状の環境などは良くなっていくはずです。

プレアデス教義の考え方は、すべてが納得できる考え方なので解明できるのです。

 
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私たちは宇宙の一部であり、宇宙の中で暮らしています。
なので、宇宙の法則から避けることなど出来ないのです。

宇宙の法則は絶対です。

いかに自分で、何とかしよう、何とかしてあげようと思っても出来ることと出来ないことがあります。



気楽な考えですが、なるがままに、なすがままにが良いようです。

私は今まで、行動は今の自分に一番良いように自然に動かされた、という事がよくありました。

それを無理やり、変えようとしても結局はなるようにしかならない、もしくはあきらめた時点で、なぜか良い方向動いた、解決に向い出した。

もがいている最中は気づきませんし、良くもならなかった気がします。

それは必要な試しが来ているのに、それを自分のエゴで拒否しているからではないでしょうか。

拒否している以上、その試しをクリアできませんし、いつまで経っても同じ事をぐるぐると、堂々巡りをしていることになってしまうんです。


Photo credit:ongoing future / spiritual_marketplace

その試しを受け入れた、あきらめた時点で変わって行く。

このことを何度も体験しています。


続きは次回に。


※記事中の<Kさん>のお話、あるいは書物などの転載内容は、ほんの一部分です。
興味のある方、詳しく知りたい方は、FUJI日本のホームページをおすすめ致します。


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「不安・恐怖」により、ついつい悩んでしまいエゴに左右されていた自分を「想念観察・感謝瞑想」によって不安・恐怖が存在できない「いま」に集中できる事を教えていただいた○○様、そして「FUJI日本」のグループ並びに、ご担当者様に深く感謝いたします。

想念観察を広めるグループ!FUJI日本

 

一人でも多くこの記事を知ってほしいので、よろしくお願い致します。
いつもありがとうございます。