よく言います。
今ある、この現実は幻です。
以前、映画のスクリーンによく似ていると言いました。
いま写し出されているのは、あなたの現実ですが、あくまで映画の世界。
映写機である、あなたはその現実を良くも悪くも出来るのです。
Photo credit:projector / torley
でも実際、
自分の目に映るもの。
この手で触るもの感じるもの。
相手の話す言葉や聞こえるもの。
とても幻とは思えません。
すべて自分にとっては五感として感じるので、ある意味100%の現実でもあるわけです。
それはこの世界が三次元という、物質で出来上がっている環境だからです。
物質である以上、幻としては見えないのです。
まして、目覚めていない盲目者には120%の現実として映っています。
現にそこにあるじゃないか。
そう言われておしまいです。
幻という表現は実際に「有るようで無い」という事ではないのです。
修行の場である以上、真剣に物事を感じ喜怒哀楽というものを実感として分からせなければ意味がありません。
なので、この三次元で生きている私たちにとっては、100%の現実として感じてしまうのです。
ここは人間の魂を進化させる場であり、「体験させる為の材料」はすべて揃っている事が分かると思います。
しかし、一歩下がって広い目線で見て下さい。
この三次元には数々の障害という壁があるのが見えてきます。
前に進んではつまずき、右に曲がっては行きづまり、左に行けば落とし穴。
まるで、囚えられた一匹のアリの様にも見えます。
だからと言って、そこから逃げることは出来ないのです。
この三次元に居る以上、好きでも嫌いでも逃げることはかなわないのです。
まして、自分で選んでここへ来た訳なのですから。
Photo credit:fabcom_IMG_5716 / fabcom
ちょっとした気付きで、その先にある開けた道が見えて来るのですが、目線が低いため視野に入って来ません。
その壁は雲の上まで届くくらい高かったり、逆に片足で飛び越えられるくらい低かったり人によって様々です。
要はその人の捉え方次第で変わってくるのです。
捉え方次第で高くも低くも出来るのです。
では、どうすれば良いのでしょう。
2015年の今年こそ、もう一度現実というものを見つめて下さい。
これは私にも言えることです。
現在進行形で色々な現実が私の目の前に降り掛かって来ています。
この記事を書きながら、自分の現実の変化を見つめているのです。
正直、結構大変な思いをしています。
この現実は自分が創ったもの。
自分が創り上げたものと自覚することです。
それは手放すこと、受け入れる事で変わって来ます。
受け入れがたいかも知れませんが、今の現実を心から良かったと思うことです。
真から良かったと思えるまで感謝してみて下さい。
そうすることで、その壁はずっと低くなります。
その壁を崩すのも崩さないのも自分次第だということです。
でも、その事を分からない人がいっぱい居ます。
無理やり飛び越えようと、もがいて苦しんで傷ついて…。
それでも無理して、ずっと悩んでいる人がいっぱい居ます。
まず、それを理解することです。
Photo credit:Somebody Save Me-I Don't Care How You Do It.... / jillianaphotography
−絶対に忘れてはいけないこと−
現実は自分の為に提供してくれている。
現実を変えるには、現実を変えようとする事をあきらめて、すべてを受け入れた後に現実は変わっていく。
「受け入れるとは」今の現実を、本当にこの辛い現実のおかげで、貴重な体験が出来て良かったと心から思えるようになること。
そうすることで内面から変化していきます。
その為には自分を観る、想念観察が必要なのです。
続きは次回に。
※記事中の<Kさん>のお話、あるいは書物などの転載内容は、ほんの一部分です。
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いつもありがとうございます。