水瓶座讃歌 No.48 参照


 −分裂について−


しかし、人間の意識がこれ程に分裂しておるとはのう・・・。
情けなや、情けなや・・・。

分裂、分裂が好きなようじゃの。

ああ言えば、こう言う。
いつまで机上の空論をやっておるのじゃ?

その愚かしさに未だ気付いておらぬ。

神は強制しない?
それが真理?

生かされておることに全く気付いておらぬからこの”曲解”じゃ!


Photo credit:豊受大神宮 (伊勢神宮 外宮) 別宮 多賀宮 / ume-y

  -天照大神-  (あまてらすおおみかみ)



人間は一人一人が自分の信じた世界に行く自由を与えられておる。
これは確かじゃ。

しかし、その信じる世界が、どれ程の複雑さで存在しておるか、判らぬであろう?

われ等の立場にしても、言いたいことは山程ある。
言いたくても言えぬことも山程ある。

非物質界の複雑さ・・・判るか?
それが見えるか?

たまには見えるかもしれぬ。

自分は見た!
と確信するかも知れぬ。

しかしそのようなものが見えた、感じた!

とて、現実には何も影響があるわけではないという事実に全然気付いておらぬ。
そのあやふやな世界に振り回されぬよう”現実を見よ”と指導、促しをしておるに過ぎぬ。

それが何故わからぬのか!

自分自身の存在している世界を理解して行く方が、その段階の方が一番安全で理に適っておるのじゃ。

それを否定し、一足飛びにあの世界が見えた! とはしゃいでおる。

それは罠だと、何故気付かぬのじゃ!


Photo credit:20120315 Ise-jingu 4 / bonguri

地に足をつけるという事が、どれだけ重要なことか判っておるのか?
これからは嫌がおうでも不可思議な世界が見え易くなる。

その様な時に、何が必要かと言えば、それは”判断力”でしかない。
その”判断の基礎”となるものがイマヌエルの教義なのじゃ。

教義で教えられている事が、この三次元世界でどのように現象化しているか?
また現象化させる事が出来るか・・・。

その探求・実践が全然なされておらぬ。

我等の目から見て、今現在そなた達にその様な成熟した判断力があるか?
と問われれば、ゼロに等しいとしか言えないのじゃ。

”強制するのはおかしい!”と言えるのは、そのような総合的な判断力・能力が備わってこそ、初めて言えるのではないか?



己の現実を見よ!

浅はかな、落ち着きのない人間ばかり集まって居るではないか!
類は友をよぶ!
朱に交われば朱に染まる!

古くから諺に耳を傾けたらどうじゃ!
これからそなた達が、自分自身の選択によって、住む世界を決定していくのじゃ。

誰の助言も指導も無しにな!
その時に責任が取れるというのであれば、もう何も聞く必要はない。

己の道を行くが良い!



次元上昇を考える前にやるべきこと。
成すべきことがある。

根本的に浅はかな考えを正し、もう一度自分が行なってきた事を振り返ってみよ。
そう言っている様に聞こえます。

  記事:次元上昇による体の変容 体だけで大丈夫?


その記事でも言いましたが、精神的に霊的にです。



霊格を上げろと言っているんじゃありませんよ。
だいたい霊格ってどうすれば上げられるのか私にも分かりません。

精神的に霊的にと言えば難しく感じるかも知れませんね。
言い方を間違えました。

要は自分が今までやってきた考えや行動などです。

だだ、それはエゴであり、「本当の自分ではない」
その事は今までこのブログをお読みになり理解されている事と思います。


Photo credit:Soul Death / rd-creas

そのエゴが行なってきた考えや行動を振り返ってみてください。

今まで、エゴ想念を目だけになって流せ、流せと言っていました。
チョット矛盾しているように感じますが、そうではありませんよ。

時として振り返る。
これも必要な事です。

なぜなら、

自分ではまったく意識していなかった考えや行動に責任転嫁や善悪判断が隠れているからです。

私は振り返ると、あの時にありました…。



正直にお話しますと、今の職場に来た時です。
引き継ぎする前任者が居ないせいで、えらい目にあった。

その時の記事を、今読み返してみるとキレイ事の様に書いています。
確かにその時は書いていた通りの気持ちに間違いはありませんよ。

  記事:恐れは現実ではない! 未来を思う想念である


その時、私はひとつの「試練」と思い、とにかく余計な想念は流していました。
それは事実です。

でも、当時は流すのに夢中で、その中に隠れていた責任転嫁、善悪判断を見逃していたんですね。

 前任者が居ないせいで、えらい目にあった。
 前任者が居た方が楽に仕事が出来る。
 
完全に責任転嫁、善悪判断ですよね。

なので、「いま」これを思いその想念を根本から流します。


Photo credit:Midnight Prayer / krissen

想念観察とは、その時の流れた想念を、ただ目だけになって黙って観ている。
そして流す。

これは基本です。

しかし、その時流した想念の中にも、奥の深いところに隠れている想念もあるのです。
想念の根っこですね。

これも以前お話したことです。

気付きにくいところを振り返って流すのも必要な事です。
想念観察を始めて少し慣れてきたらやってみてください。

天照大神様がおっしゃっている「判断力」ではありませんが、こういう事を少しづつ行なっていくことで、霊的に精神的に大きくなっていくと思います。

 
続きは次回に。


※記事中の<Kさん>のお話、あるいは書物などの転載内容は、ほんの一部分です。
興味のある方、詳しく知りたい方は、FUJI日本のホームページをおすすめ致します。


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「不安・恐怖」により、ついつい悩んでしまいエゴに左右されていた自分を「想念観察・感謝瞑想」によって不安・恐怖が存在できない「いま」に集中できる事を教えていただいた○○様、そして「FUJI日本」のグループ並びに、ご担当者様に深く感謝いたします。

想念観察を広めるグループ!FUJI日本

 

一人でも多くこの記事を知ってほしいので、よろしくお願い致します。
いつもありがとうございます。