かなり昔に勤めていた職場での、人間関係について。
かりにも、その会社で毎月の給料を頂き、その間は生計を立てていたわけなので悪口は言いたくありませんが、「人間というものはこうなのか、人は周りの環境でこうもなるのか」という、お話です。
Photo credit:Finished Office, Tech Lab Area / rickcogley
人は誰でも良く思われたい、良い人だと分かってもらいたい、自分というものを認めてもらいたい。
そんな心を少なからず持っている。
少しも表面に出さない人。
思いっきり、ありったけの表情で訴えかける人。
また、その逆の人。
あえて悪く思われてしまう人。
いろんな人がいます。
私が若かりし頃、勤めていた会社の社長は、超ワンマン社長でした。
確かに、頭は切れるし行動力もあり、そこら辺にいる社長とは違っていました。
一代で、会社としての知名度を築き上げ、自社ビルを建て同業者からも一目置かれるまでに成長した会社なのです。
とにかく、右と言えば右、左と言えば左。
逆らう者はいらない。
他人の意見など必要ないのです。
すべて自分が提案し、道を決め、社員は作られた道を指示された通り行なえば良い。
まるでロボットと同じ様に見えてしまいます。
幹部連中でさえ同じ扱いです。
日常はほとんど不機嫌なので、社員は常に緊張状態が続いています。
それが演技なのか、性格なのかは分かりません。
なので、何か事が起これば大変な状態になります。
外まで聞こえるかのような大きな声で怒鳴りつけ、社内は一変して悪夢のような状態になります。
初めてそれを聞いたとき、何が起きたのか理解できませんでした。
普通の怒り方ではないのでね。
普通というのもおかしい表現ですが。
そのような会社の体質上、社員は責任逃れに走ります。
会社から一歩外へ出ると、ごく普通の性格なのに社内では別人に変身するのです。
人間とは恐ろしいものです。
まだ、霊の方がマシかも知れない…。
人間とは恐ろしいものです。
まだ、霊の方がマシかも知れない…。
普段社長への報告なども腫れ物をさわるかのようにご機嫌を伺います。
下手な報告など、怖くて出来ませんよ。 その都度、「連絡・報告・相談」をするように指示されますが、そこのところは皆上手くやっているようです。
なので、いつも後からトラブルなどがあった事がバレて最悪の状態になるのです。
しかし、どこの会社にもいるように必ずヘマする人がいます。
その人がどうなったか、お話するまでもないと思いますが…。
そして、その都度新しい社則が出来上がっていくのです。
がんじがらめになっていきます。
この会社は一つの世界なのです。
一歩社内に入れば、そこは別世界です。
社長の存在が社内の空気をピーンと張り詰めさせます。
どこの会社も必死なので、同じ様な環境に近いかも知れませんが、私がいた職場は特に酷かったと思います。
社長の本当の性格は分かりません。
本音は良い人なのかも知りませんし…。
仕事がそうさせているのかも分かりませんが、社員の扱いに関しては誰もがその様に見えていたと思います。
で、何が言いたいのかと申しますと、
この社長ではありませんが、あなたの周りにもいると思います。
普段から横柄な態度で人と接する人。
辺り構わず、ものすごい罵声で怒鳴り散らしている人。
鼻高々に自慢しては、知ったかぶりばかりする人。
人のアラばかり探して、つけ込んでくる人。
意地悪ばかりして、精神的に落ち込ませる人。
以前にも麻原 彰晃の記事で書いたと思いますが、
こういう人たちは、相手に対して自分が何をしているのか気付いていない。
相手にどの様に思われているのか分からないのです。
もし、自分の悪態が自身で分かっているのであれば、そんな事は絶対にしないはずです。
では、なぜか。
なぜそうするのか。
昔の人は良いことわざを言います。
「人の振り見て我が振り直せ」
この社長は周りに教えているのです。
こんな事をしたら、こんな風にみられるのですよ。
だから、あなたは決してこんな事を人にやってはいけない。
私を見て学んで下さい。
そう教えているのです。
その人はその人で、嫌な役を本気で真剣に演じている。
周りの人の為に本気で悪態をさらけ出しているのです。
そういう、みにくい姿をまざまざに見た者はどう思うでしょう。
当然、そんな事をしてはいけないと、改めて思い知らされるのですよ。
では何故そんな嫌な役を演じているのか、
それは自己犠牲とも言うべき、進化の一つ。
進化する過程については以前お話しました。
自己を犠牲にして進化をしていく。
仏教にも自己犠牲に対しての教えは数多く存在しています。
しかし、自己犠牲に関しては一概に賛否両論です。
自己犠牲が美しいと思う人、そうは思わない人、それぞれだということです。
自分を犠牲にして他人を助けるわけですが、内容によるかも知れませんね。
よく聞くお話として、母親が我が子のため自分を捨てて助ける。
たとえ自分が死んでも、我が子は守るというお話です。
一つハッキリしている事は、自己犠牲に関しては恩など感じない。
たとえどんな小さな事でも、それに対して恩着せがましい気持ちなど、これっぽっちも感じないという事です。
恩など感じたら、それは自己犠牲ではなく、単におせっかいや取引になってしまうのです。
Photo credit:friends helping friends / jcpiercy
この社長は、自分の悪態を周りに見せつけ教えているのです。
無意識に自分を犠牲にして。
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少し前の読者様からのコメント。
ありがとうございます。
「驚愕の真実です! ○○○○○」のタイトルに深い意味はございませんよ。
<Oさん>からお借りした資料の中から一部抜粋しているのです。
セムヤーゼからの回答に関する記事だけ、純粋な気持ちで付けています。
その資料は、私にものすごい衝撃を与えたのです。
私が今までくすぶっていた「謎や疑問」が、少しづつ解決している。
今まで書いてきた記事は、その中のほんの一部です。
内容に関して事実なのかどうかは、あくまで自己責任でお願い致します。
無責任な言い方かも知れませんが、地球人は謎とされてきた事に関して解明し、ハッキリと断言する人はいない。
なので、地球人にいなければ宇宙の人しか分からない…。
人間として、精神的・科学的に格段に進化している宇宙の人しか分からないではないか。
そう思っています。
地球人の科学力がいくら進歩しているとしても、まだまだ沢山の謎があります。
少なくとも、長いこと私の中のもやもやした不透明な謎が少しづつ解けてきたのは事実です。
なので、私はその資料に敬意を表わしてそのタイトルを付けているだけなのです。
もし、タイトルに不快な思いをさせたのなら、申し訳ありません。
しかし、今後もタイトルを変えるつもりはございません。
ハッキリとした指摘に感謝します。
また何かありましたら、コメントお願いしますね。
続きは次回に。
※記事中の<Kさん>のお話、あるいは書物などの転載内容は、ほんの一部分です。
興味のある方、詳しく知りたい方は、FUJI日本のホームページをおすすめ致します。
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想念観察を広めるグループ!FUJI日本